鹿児島 歴史・史跡

松之尾神社(神社)(いちき串木野市)

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松之尾神社



matunoojinjamap.png 鹿児島県いちき串木野市荒川(荒川小学校近く)
現在は南方神社と合祀


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松之尾神社は、荒川小学校のすぐ近くにあり、現在南方神社と合祀されています。


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由来は今回分かりませんでしたが、ここではびょうびょう祭りという古くから伝わる行事があります。


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びょうびょう祭り


びょうびょう祭りは、松之尾神社(現在、南方神 社と合祀)に古くから伝わる行事で旧暦の2月6日に行われていました。父親(てちょ)が息子(太郎)に稲作の手順や牛の使い方を面白おかしく教える寸劇で住民の安泰と五穀豊穣を祈ります。


2006.6.11


松之尾神社

兵主神社(神社)(姶良町)

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兵主神社



hyouzujinjamap.png 鹿児島県姶良郡姶良町脇元1818
兵主神社「素戔嗚尊」



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重富漁港の近くには兵主神社という神社があります。八坂神社とも呼ばれているようです。

素戔嗚尊(スサノオミコト)


兵主神社

加治木護国神社(神社)(加治木町)

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加治木護国神社



kajikigokokujinjamap.png 鹿児島県姶良郡加治木町仮屋町
御祭神
明治元年戊辰役、同10年西南役、同27年日清戦争、同37年日露戦争、昭和16年大東亜戦争の国事に殉じた加治木町出身、並びに縁故ある殉国の英霊


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加治木高校に隣接する護国神社です。


由緒・沿革


明治3年 県下でも由緒ある官祭招魂社として、本町に鎮座
明治18年 仮屋町(反土)に移転遷座
昭和14年 内務省令により加治木護国神社に改称
昭和20年 戦災により、仮殿を設ける
昭和28年 宗教法人令に依る法人登記を完了
昭和34年 今の場所に移転改築し遷座
平成8年 台風の為、社殿大破し改築促進運動と、遺族会町内外の融資の協力により、平成9年6月新装。



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慰霊碑


主要祭典


紀元祭   2月11日
みたま祭  7月24日
終戦記念祭 8月15日



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護国神社石橋


橋長:5.7m
橋幅:2.0m
径間:2.6m
拱矢:0.5m
架橋:明治19年

参考サイト
石橋巡り 加治木町


2006.5.28来訪


加治木護国神社

加治木島津家屋形跡。西の丸。現柁城小学校(城)(加治木町)

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加治木島津家屋形跡。西の丸
現 柁城小学校



dajousyougakkoumap.png 鹿児島県姶良郡加治木町仮屋町1342
東の丸

※当時の名残の井戸があります。



dajousyougakkou2.jpg 島津屋形跡の西の丸は現在、柁城(だじょう)小学校となっています。


昭和20年まで加治木町役場となっていた茅葺の「御対面所」は、柁城小学校プールに最後まで残っていましたが、昭和20年8月11日の戦災で焼失しました。


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加治木屋形模型


島津義弘が没した後、息子の島津家久(島津18代当主)はこの場所に住むことになり、別館を新たにこの場所に建て、西の丸(中納言様御殿)と呼びました。


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柁城のいわれと、柁城小学校


 大昔のいい伝えによると、ぼうぱくたる天地創生の神代の昔、いざなみ・いざなぎの二神は、天のうき橋にたって蛭子をうみ、そして大八州と、やおよろずの神々をうみ給うた。蛭子は足が立たず天のいわく、くす船に乗せられて下界に流されたが、その船のかじ(柁)は、流れ流れてとある村里にたどり着き、うっそうたる巨木におい茂った。この村こそ「柁木」すなわち「加治木町」であるという。

 慶長12年島津義弘公は、柁城の敷地に一大屋形を築き「柁城」と呼んだ。これを「かじき」とも読む。天明4年島津久徴公(ひさなるこう)によってはじめられた郷校「毓英館(いくえいかん)」は、明治9年「柁城小学校」と改称されました。柁城にめぐらされた石垣の中に神代のロマンと剛健な薩摩健児教育の歴史をしのぶことができます。

 その後、柁城の「柁」を柁木の葉で包んだ校章が制定されました。昭和20年8月11日、大空襲によって校舎を全焼しましたが、柁城の子らが心身ともにすこやかに成長し、世界の子らと手をつなぎ、世界平和に貢献することを祈って柁城小学校の新校歌が誕生しました。そして昭和36年には、現在の鉄筋校舎が完工し、それ以来 発明工夫展・科学技術長官賞(3回)・保険優良校文部大臣賞・ソニー理科教育優秀校・器楽合奏優秀校・県図工展優秀校等々かずかずの受賞のもとに、開校依頼100年余のあゆみを続けています。


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加治木屋形の井戸


この井戸は1607~1869年までの262年間、加治木島津家が加治木を治めていたころに使われていたと伝えられています。

当時の名残がたっぷりと残っています。


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井戸には格子がはっています。



2006.5.28


柁城小学校

新正八幡神社(神社)(姶良町)

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新正八幡神社



shinjouhatimanjinjamap.png 鹿児島県姶良郡 姶良町鍋倉
御祭神 山城國石清水八幡宮と同体すなわち應神天皇、仲哀天皇、神功皇后の三柱
問い合わせ 姶良町歴史民俗資料館
TEL 0995-65-1553
HP


弘安5年(1282)中平山了清(ひらやまりょうせい)は石清水八幡宮の御神霊を奉部族874人を率いて、帖佐松原浦に着船、更に別府川を遡り、船津に着き、折槁山の絶嶺に祠を建立して正八幡宮と称しました。これは國分の正八幡に対して新しく勧請した新正八幡宮の意味でした。



 八幡宮の社殿の側に上寺を建立し、八流増長院と名づけ八幡宮の別当寺と定め、さらに新宮鎮座の地を平安山と称し、城郭を構えて平安城と名づけました


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島津義弘は帖佐城の節、大いに八幡宮を崇敬し征韓、関ヶ原の戦の際も戦捷祈願の事あり、数々の寄進をなしました。


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正祭=10月25日、松原浦に神輿臨幸の行事があります。これを浜殿下り走るといいます。
氏子たちが若者たちのかつぐ神輿のあとから裃や武者姿で、帖佐八幡神社から稲荷神社・五社神社・町役場前を経て松原の御門神社まで約4kmの道程のお供をする行事です。

昔は帖佐地区最大のお祭りでした。


2006.11.25


新正八幡神社
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